武末 日臣Hiomi Takesue
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ギャラリー一番館
からのご紹介 - 陶歴・プロフィール
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武末日臣氏は、李氏朝鮮時代の焼き物を忠実に再現しようと作陶し続ける対馬の陶芸家です。窯元の大浦陶窯は、長崎県対馬市の上対馬町という韓国の釜山が肉眼で見えるほど韓国に近い場所にあります。
李朝陶芸の伝承者
唐津と李朝の焼き物には似通った点が存在します。李朝時代、朝鮮出兵で武将が当時の朝鮮人陶工を連れてきたことにより、李朝の技術に日本人の感性も加わった唐津焼は非常に技術革新していきます。
氏は、そんな古唐津が作られていた安土桃山時代よりもさらに昔の、李朝の焼き物の写しを作陶し続ける陶芸家なのです。対馬の陶芸家・小林 東五のもとで修行中のこと。韓国の寺に泊まり込み、李朝時代の窯跡や陶片などを自身で発掘し、それが自身のお手本となっています。その後も上対馬から釜山へフェリーで何度も渡って研究し、李朝の時代のものを作っています。
技術と創造性の融合
氏の技術はそれだけにとどまらず、ろくろの使い手として技術的に非常に優れており、優美な作品を生み出しています。
例えば、「御本」と呼ばれる作品は、韓国の李朝の焼き物の種類で唯一、奥高麗(おくほうらい)という唐津焼の一種。奥高麗は本来、唐津焼の中でも最高品質とされており、氏は独自にこの種類を制作しています。
釉薬や素材の知識も大切ですが、焼き物を作るには技術が不可欠です。氏は、自身のスタイルで非常に優れた技術を持っており、現代の日本の陶芸家の中でも特に古典的な井戸茶碗を再現し現代に蘇らせているのです。
他の陶芸家たちも井戸茶碗の再現を試みていますが、氏の作品は井戸茶碗の本質に非常に忠実であり、特にろくろの技術や表現力において、その作品には他の陶芸家には見られない真の井戸茶碗の魅力が宿っていると、実力が高く評価されています。そのため、彼の作品に魅了される多くの陶芸愛好者やコレクターが存在します。
武末日臣の代表作といえば、やはり井戸茶碗。井戸茶碗は一つあたりの価格が高額であるが、他にも粉引のお茶碗や三島の茶碗、ぐい呑みなど、様々なタイプの陶芸作品を制作しています。特に、ぐい呑みは井戸茶碗に比べて手頃な価格で入手できるため、多くの人々に親しまれています。井戸のぐい呑みは、日本酒ととてもよく合うとされており、武末さんの作品は品質が高いため、コレクションとしても人気があります。氏の作品は個展などで多数展示されており、中から良質な作品を厳選して仕入れ、これらの作品は非常に人気があり多くの人々に支持されているのです。武末日臣と一番館
武末日臣の作品が一番館で取り扱うようになったのは、およそ20年前のこと。一番館代表・坂本と武末さんは、李朝の陶芸作品に共通の興味を持っていました。ある日坂本は対馬を訪れ李朝の作品を探し、その旅で初めて武末先生に会い、当時は専門のギャラリーが彼の作品を扱っていましたが、その後一番館での取り扱いを希望する氏からの提案があり、一番館代表・坂本自身も作品に魅了されました。それ以来、彼の作品は一番館で取り扱うことになり武末先生との関係が続いています。
氏は本業で対馬の神主でもあり、家族が代々神主を務めているという、生真面目で人格者な一面も持っています。
武末日臣の作品を購入する人たちは、茶道やお茶会に参加している方々が多く、特に、遠州流茶道のフォロワーや関係者からの強い支持があります。遠州流は江戸時代初期の茶人大名である小堀遠州が始めた茶道の流派で、遠州流の茶道家本の先代の家元も氏を高く評価されています。
小堀遠州の流派である遠州流には、氏とのゆかりが深く、家本の先代の家元が特に武末日臣の作品を高く評価し、今でも交流が続いているようです。 -
【プロフィール】
生年 1955年
師匠 小林 東五
窯元 大浦陶窯
【陶歴】
1955 長崎県上対馬生まれ
1989 高麗李朝陶磁研究のため渡韓
井戸、三島等の古窯跡発掘調査を行う
以後、毎年渡韓し調査研究
1990 対州国島大国魂神社神職となる
1994 対馬大浦に窯を築く
その後、対馬豊山井出に窯を移す
以降GALLERY一番館、GALERIE AZURにて開催