中里 隆Takashi Nakazato

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  •  【ギャラリーからの紹介】

      陶磁研究家 小山冨士夫の勧めで種子島に渡り、焼締め・種子島焼を始めました。作家は地元に戻った後も鉄分の多い土で独自の焼締め「唐津南蛮」を焼き、近年はさらにアメリカ、ドイツ、イタリア、チリなどの世界各国を回り歩きその環境を生かした焼物を焼き続けています。人間国宝 中里無庵の五男に生まれた隆は京都、有田で修業した後実家である中里太郎右衛門窯にて一日に数百という食器を挽き、父無庵、二人の兄、逢庵、重利と共に中里太郎右衛門窯の黄金時代に貢献していきました。 

     陶磁研究者であった小山冨士夫が種子島の能野焼再興者を探していた折、無庵の息子隆に白羽の矢が当たります。能野焼は、器の共土と灰釉を混ぜて掛ける原始的な焼き物でしたが、種子島の鉄分の多い土を生かし焼締を「種子島焼」と呼び作るようになりました。3年の種子島での作陶を終え唐津に戻った後も、シンプルな焼締めの器にこだわり「唐津南蛮」という新しい唐津焼を生み出しています。

     代表的な作品として、伝統的な絵唐津の作品や、粉引、三島、刷毛目などを作陶しています。焼成の方法として近年では冷却還元という焼き方により、従来の唐津焼よりも表面が銀化したような独特の光沢感を出すことが可能になり、デザインとさらに質感まで現代の生活にもフィットする器に仕上げています。

     中里隆は非常に食にこだわる作家で、自身で朝から魚を買い付け包丁を握っています。彼がプロデュースした鮨屋も少なくなく、数多い料理屋で「主」「う」と高台脇に氏のサインが刻まれた器が並んでいます。特に徳利、片口に関して、酒を注ぐ道具ですがこれらは酒を注いだときに口から酒が垂れません。口の切れが良いことで有名な隆作の徳利、片口は焼成後に水で口の切れをテストし、極々少量の一滴まで垂らさないようなものを販売しているのです。本人も器の口作りに関してはすべての作品にこだわりをみせ、器全体の表情を決めるのは口作りだといい、成型の最終段階の口作りに神経を使っています。同じ種類の作品が直径、高さもまちまちなものが多く、一見丁寧作られているのだろうかと感じさせますが、このような細やかな箇所のバランス感覚は絶妙で、器は一点、一点、圧倒的雰囲気を見せています。

     年の半分は海外で過ごし、アメリカ、ヨーロッパの数々の国で作陶を続けています。たとえば皿に刻まれたギザギザの模様はドイツに行った際たまたま町で発見したピザカッターを道具として使ったものです。斬新な道具や土、釉薬の使い方と中里隆の造形のセンスが加わり常に新たな焼き物が生み出され、年間数多い個展をこなす氏ですが毎回新鮮な印象を与えてくれます。常に新しい感覚を持ちそれは今も進化し続けているのです。

     華美なものや豪奢なものにあふれる空間に暮らす現代の私たちだからこそ、無駄をそぎ落とし空間に溶け込むように作られた中里隆の器を求めてしまうことは自然なのかもしれません。氏の器達は使い続ける度に輝きを増し、美意識の高い人たちを飽きさせることなく、これからも魅了し続けていくことでしょう。

        

     

  • 【陶歴】

    1937 人間国宝中里無庵の五男として唐津に生まれる
    1961 第十回現代日本陶芸展にて、陶彫「双魚」第一席受賞
    1967 世界各国を一年間旅行
    1971 小山富士夫氏の推薦により種子島にて築窯
    九月に日本橋三越、大阪高島屋にて種子島焼の初個展
    1974 唐津に帰り、唐津市見借に築窯
    小山富士夫氏より隆太窯と命名
    現在 唐津とコロラド(アメリカ)のアトリエを中心にデンマークなど
    世界各地にて製作活動中