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十四代中里太郎右衛門

唐津井戸茶碗 |
| 昭和三十二年 |
十三代中里太郎右衛門の長男に生まれる
本名 忠寛 |
| 昭和五十四年 |
武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業 |
| 昭和五十六年 |
同大学大学院卒業 |
| 昭和五十八年 |
中里太郎右衛門陶房にて作陶をはじめる |
| 昭和五十九年 |
叩き青唐津手付壷「貝緑」にて、日展初入選 |
| 平成二年 |
第22回日展にて特選受賞
日本工匠会(日工会)創立会員となる |
| 平成三年 |
日工会評議員となる |
| 平成四年 |
佐賀県陶芸協会会員となる |
| 平成十二年 |
第5回アジア工芸展にて文部大臣賞受賞 |
| 平成十四年 |
十四代中里太郎右衛門を襲名する |
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作品は堂々として正統。しかし、それよりもこの作家の素晴らしいところは、その人柄です。
優しくて、ふわっと人を包み込むような雰囲気は、ゆったりとして大らかな作品にも現れています。急ぐ事もなく、十二代、十三代の偉大さにとらわれる事もなく、着実に十四代としての良さを、伝統の中に確立しようとしています。 |
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籔内佐斗司

勝ち虫童子(ブロンズ) |
| 1953年 |
大阪市に生まれる |
| 1978年 |
東京芸術大学美術学部彫刻科卒業 |
| 1982年〜87年 |
同大学保存修復技術研究室助手を勤める |
| 主な展覧会への出品 |
| 1979年 |
駒井画廊にて初個展 |
| 1993年 |
個展ー博物館的世界展(日本橋高島屋、他) |
| 1996年 |
個展「The World of Satoshi Yabuuchi
- Suculptor」
Castellani Art Museum(ナイアガラ) |
| 1997年 |
個展ー童々界(三越日本橋店、他) |
| 1998年 |
「花」と出会う展
ギャラリー一番館にて草月流、片山健氏とのコラボレーション |
| 1999年 |
「籔内佐斗司の世界 色心不二」三越エトワール(パリ) |
| 2002年 |
「大仏開眼1250年奉賛 籔内佐斗司in東大寺 〜太陽と華と〜」展 |
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ご紹介するまでもなく、現在の日本を代表する彫刻家です。
東京芸大を卒業後、仏像の修復などに携わってこられた後、木彫の作家として活躍しておられます。童子をモチーフにしたユニークな作品から、本格的な仏像まで、近年、益々作品の幅も広がっています。
私共のギャラリーでも、過去に二度個展を開催して頂いており、福岡市内のホテルのパブリックスペースにブロンズを設置するなど、開店当初からのお勧めの作家です。
籔内先生のホームページも是非ご覧下さい。 |
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武末日臣

井戸茶碗 |
| 1955年 |
長崎県 上対馬に生まれる |
| 1989年 |
高麗李朝陶磁器研究のため渡韓。
井戸・三嶋等の古窯跡、発掘調査を行う。
以後、毎年渡韓し調査研究 |
| 1990年 |
対州国島大国魂神社、神職となる。 |
| 1994年 |
対馬大浦に窯を築く。 |
| 2000年 |
福岡三越にて個展 |
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対馬の最北端に生まれ育ち、井戸茶碗に魅せられた武末先生は、神職の傍ら、ひたすら李朝の写しに徹してこられました。
土にこだわり、焼きにこだわりながらも自己主張することなく、窯印さえもないその作品には、いにしえの韓国の無名の陶工たちによって焼かれた、李朝の名品の数々を彷彿とさせる何かがあります。 |
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中里 花子
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| 1972年 |
鹿児島県種子島に生まれる。 唐津で育ち、16才で渡米。 |
| 1996年 |
SMITH COLLEGE (Massachusetts,USA) 美術専攻部卒業 |
| 1997年 |
唐津に戻り、父・中里隆氏のもとで陶芸を修業。 唐津を始め、ヨーロッパ、アメリカ各地にて陶芸を研究。 |
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アメリカ・ヴァーモント州、マルコム・ライト氏のもとで作陶。 |
| 1999年 |
ギャラリー一番館にて、アンダーソンランチグループ展を開催。 |
| 2002年 |
ギャラリー一番館にて、親子三人展を開催。 |
| 2006年 |
ギャラリー一番館にて、個展を開催。 他にも、日本、アメリカ各地にて作品展を開催。 |
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中里花子先生は、高校生の頃からアメリカで生活しておられるので、作品の中にもアメリカ的な、外国人の作家が作ったような感じがあります。 3年間程お父様の隆先生にご指導を受けられましたが、あまりそのカラーに染まることなく、自由な発想で、楽しい作品を作っておられます。 現在は唐津に戻られて窯を製作中だそうなので、今後の唐津での新しい作品がとても楽しみです。 |
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赤水窯 熊本千冶

線刻文香炉 |
| 昭和二十四年年 |
唐津市に生まれる |
| 昭和四十七年 |
九州産業大学芸術学部デザイン科卒業 |
| 昭和五十一年 |
現在地に加らつ屋クラフト工房を開窯 |
| 平成二年 |
工房名を「赤水窯」として現在に至る |
| 平成六年 |
知新会展大賞 |
| 平成八年 |
日工会(日本工匠会)会員 |
| 平成十三年 |
アジア工芸展、文部科学大臣賞 |
| 平成三、六〜十三年 |
日展入選 |
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長大な唐津焼の伝統と中里3兄弟の過大な存在感のなかで、多くの唐津の若手作家達は自分の作風の確立に苦心しています。
そんな中にあって、熊本先生の作品には物真似ではない独自のスタイルがしっかりと表現されています。
伝統的な手法とクラフト的な軽い作りが融合した小物や、斬新なデザインによる大作など、 これまでの唐津焼になかった作品には、日展をはじめとした受賞歴とともに日常使いの食器にたいするファンも年々増えています |
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中里 隆 (隆太窯)

唐津南蛮 叩き壷 |
| 昭和十二年 |
人間国宝中里無庵の五男として唐津に生まれる |
| 昭和三十六年 |
第十回現代日本陶芸展にて、陶彫「双魚」第一席受賞 |
| 昭和四十二年 |
世界各国を一年間旅行 |
| 昭和四十六年 |
小山富士夫氏の推薦により種子島にて築窯
九月に日本橋三越、大阪高島屋にて種子島焼の初個展 |
| 昭和四十九年 |
唐津に帰り、唐津市見借に築窯
小山富士夫氏より隆太窯と命名 |
| 現在 |
唐津とコロラド(アメリカ)のアトリエを中心にデンマークなど世界各地にて製作活動中 |
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隆先生の一番の功績としては、唐津焼にそれまで存在しなかった唐津南蛮という本格的な焼締を唐津で始められたことだと思います。
写真のような叩きの技法による壷などは、古い唐津の伝統と隆先生による新しい試みとの融合として、とても興味深い作品です。
また、食文化にも精通しておられ、料理の腕前も玄人はだしなところから先生作の食器はどれも使い易く、料理を一段と引き立てます。
近年はコロラド州アンダーソンランチでの作品や、ロイヤルコペンハーゲン窯での作品など意欲的に新しいものに取り組んでおられ、ますます今後の活動から目が離せそうにありません。 |
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中里 重利

唐津 叩き壷 |
| 昭和五年 |
人間国宝中里無庵の三男として唐津に生まれる |
| 昭和二十七年 |
日展 初入選 |
| 昭和四十年 |
日展にて「三玄壷」が特選北斗賞を受賞 |
| 昭和四十八年 |
唐津市神田山口に「三玄窯」を築窯 |
| 昭和五十一年 |
日展審査員となる |
| 昭和六十年 |
佐賀県芸術文化功労賞を受賞 |
| 平成元年 |
日展評議員となる |
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重利先生は父中里無庵、兄中里太郎右衛門と共に、現在の中里太郎右衛門窯の、広い意味では現在の唐津焼の復興にご尽力してこられました。
若い頃からロクロの巧さには定評があり、特に茶碗などには上品であか抜けた作品が数多くみられます。
茶人好みの作風から、茶碗、水指、茶入といったお茶のお道具に高い人気がありますが、象嵌などの技巧を凝らしたペルシャ風の壷など、意欲的な作品も作られていて、技術の幅の広さを感じます。
現在は高島屋など全国の有名デパートでの個展を中心に活躍されていて、妥協のない、完成度の高い作風ゆえ、つねに作品は少ない状態が多いのですが、私共の店では、入手しづらい「ぐい呑」や「湯呑」なども常時展示していますので重利ファンの方は是非一度足をおはこび下さい。 |
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中里逢庵

唐津翡翠魚文陶板 |
| 大正十二年 |
十二代中里太郎右衛門(人間国宝 中里無庵)の長男に生まれる |
| 昭和二十六年 |
日展 初入選 |
| 昭和三十三年 |
日展にて叩き壷「牛」特選受賞 |
| 昭和四十四年 |
十三代中里太郎右衛門を襲名 |
| 昭和五十六年 |
日展出品の「叩き唐津三島手付壷」にて内閣総理大臣賞を受賞 |
| 昭和五十九年 |
日展出品の「叩き唐津手付瓶」にて日本芸術院賞を受賞 |
| 現在 |
日展理事 |
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中里太郎右衛門先生は現在の唐津を代表する作家であり、またあらゆる面においてのリーダーです。
作風はまさに唐津焼の正統であり、堂々とした作品には400年の伝統が確かに息ずいています。 「叩き」の技法を使った豪快な壷や、繊細なロクロによる茶碗など多岐に渡ってファンを魅了しますが、
中でも絵付けの評価が高く、特に玄海灘の魚をモチーフとした陶板や壷は、最も人気の有る作品です。
また、古唐津など古い陶器の研究家としても知られており、日本の工芸全般においても欠かすことのできない作家であると言う事に、異論を唱える人はまずいないでしょう。 |
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